世の中を知ること
今年の7月からレジ袋が有料化された。スーパーやコンビニでレビ袋の有無を聞かれる機会が増えた。
レジでの面倒なやり取りが増え、正直憤りを感じている。そんなこともあり、この制度について調べてみることにした。
残念ながら、調べれば調べるほど、その制度の意義について疑問が深まるばかりだった。
海洋プラスチックゴミ問題が槍玉に挙げられていたが、レジ袋がその内に占める割合は低く、どうも直接的な解決に結びつくことは無さそうだ。
環境大臣も直接的な解決を想定しているわけでは無くて、国民一人ひとりの意識付けの為だと述べていた。
もっと直接的な解決を進めながら、国民に意識付けをする方法があるのでは無いかと感じることもあるが、本題とはズレるためここでは言及しない。
最近の疑問
上記の件も含めて疑問に思うことがある。
それは「世の中への理解を深めると実は不幸になるんじゃない?」ということだ。
自分はレジ袋有料化について深く検討を重ねたわけでも無いし、世の中の大部分を知っているわけでも無い。むしろ知らないことばかりだ。
それでも大人になり、学生時代よりも視野が広がったことは確かだと思う。
学生時代は、留年はこの世の終わりだとばかりにテスト前に徹夜をし、ひたすら知識を詰め込んだ。社会に出て、世の中には留年・浪人経験がある人が思ったよりも多いということを知った。新卒で入社した企業の同期には浪人経験者が多かった。社会に出てしまえば、お互い歳が多少離れていても対して気には止めないものだ。
今の立場から学生時代を振り返ると、「留年について何をあそこまで恐れていたのだろう?」と感じる。
そりゃ学費もかかるし留年しないに越したことは無いのだろうけれど、当時自分は留年することに対して過剰なくらいに恐怖を抱いていた。
かと言って、当時の自分に対して後悔の念を抱いているわけではない。あれこれ知識を持つと考え過ぎすぎてしまい身動きが取れなくなってしまう。目の前のことに、ただひたすら取り組む時期も必要である。そういう意味では、無知も一方的に悪とは言い切れないと思う。
海洋プラスチックゴミやポリ袋の特性について調べることは有意義だとは思うが、それを調べた前後で、自分の幸福感は減少したと思う。以前よりも生活が不便になったのに、その効果はほぼ無いと言われれば、やはり無力感や憤りを覚える。
何も考えず国の政策に従っていれば、そのほうが幸せだったのでは?と思ったりもする。これが今回の疑問のきっかけだ。
ではどうするか?
知りすぎるのも不幸。かと言って何も知らないのも搾取される側になり不幸。ではどうすれば良いのか。
この点については「適切に恐れて、適切に学ぶ」しか無いと思う。
レジのやり取りが面倒になり、憤りを覚えるなら、やり取りをせずに商品を得るにはどうしたら良いかを考える。
幸い、今の時代はネットショッピングが充実している。こういったものを活用すれば余計な面倒なやり取りに対するストレスが減りそうだ。ネットショッピングを利用すれば、また新しいストレスが生まれてくるかも知れない。そうしたら、同じように考えながら自分が満足出来る落としどころを探していくしか無いのだ。
楽観しすぎない、悲観しすぎない。言うのは簡単だが自分が実践しようとすると本当に難しい。自分は悲観的になりやすいから、程よく楽観的になる方法を学んだほうが良さそうだ。
そういう意味では、まだまだ自分も無知寄りの無知である。
学生時代に留年を過剰に恐れていた反省を生かして、「今、自分が恐れていることは本当にそこまで恐れるべきことなのか?」と改めて問いながら勉強していこうと思う。昔の自分に感謝したい。