「努力できることも才能」は半分だけ正解だと思う

生まれつきの目立った才能ではなく、自身の努力によって成功した人に対して

「努力できることも才能だ」という主張を目にすることがあります。

このような主張の裏には、

「努力して成功できるなら、いま成功できていない自分は努力不足で怠惰な人間ということになってしまう。

そんなことは認められない。努力できることも才能の一つなんだ。」

という感情が見え隠れしている感じがします。

 

私としては、「努力できることも才能」という主張は半分正解、半分不正解かなと考えています。

というのも、努力で成功した人は、自分に才能がある分野で努力を積み上げた人だと思うからです。

前提として、人は自分がそれなりに才能のある分野でないと、努力することは難しいと考えています。

努力できる分野 = 才能がある分野

と考えることはできないでしょうか。

そういう意味だと「努力できることも才能」も正解な気がします。

しかし、特定の分野を問わず、努力すること全般が得意というのを指している場合はちょっと違うかなという感想です。

苦手なことや嫌いなことって、そもそも努力できないと思うんですよね。

仮になんとか努力出来たとしても、成果に結び付きにくいから、努力によって成功したという結果にも至らない。

 

それじゃあ自分が才能のある分野ってどう探せばよいの?と疑問に思うのですが

こればっかりは自分でいろいろやってみるしか無いのかも知れません。

自分が幼少期に、どんなことに夢中だったかを思い返してみるのも良いかなと思ってたりします。

 

この手の話題になると、アニメ「PSYCHO-PASS」に登場するシビュラシステムのことを考えます。

近未来の日本を舞台にした作品なのですが、そこで登場する社会福祉システムがシビュラシステムです。以下ピクシブ百科事典を引用します。

西暦2112年の日本で運用されている社会制度。管轄は厚生省。サイマティックスキャンにより読み取った人々の生体力場を解析し「サイコパス(PSYCHO-PASS)」として数値化、それを元に精神の健康状態・個人の能力を最大限生かした職業適性を示し、人々が最適で充実した人生を送れるように支援を行う包括的生涯福祉支援システム。

適性のある職業をアドバイスしてくれるのは本当効率良いなぁと思います。

 

今回こんなことを考えたのは、「日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)」という本を読んだのがきっかけです。

身体的な要素は遺伝が大きく影響しているというのは一般的だけど、実は知能や性格も遺伝が大きく影響しているんじゃない?といったことが書かれています。

世間一般の常識に疑問を投げかけるような内容でとても楽しめました。

興味があれば是非。

 

 

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